Japanese

Japanese / 26.03.2014

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(文:ブリジット・ヘスター・グリーン) 在宅学習を行うヘスター家    私は33歳です。在宅学習を始めたのは24年前のこと。母は兄弟と私を教区の小学校から引き上げました。母は16人の子供の母親で、当時のあらゆる種類の学校で経験のある親でしたから、そうするほうがよくできると考えたのです。  「教育計画が崩壊していくことに我慢ができなくなっていたのよ」ママは今日こう語ります。「少なくとも私が受けたのと同じくらいによい教育計画を子供にも欲しかったの」 ブリジットは優等を受ける    私に関する限り、ママは正しかったです。大学に進学するまで9年間家で幸せな時間を過ごしました。私は大学で優等を取りました。これは自慢ではなくて、在宅学習が私に与えてくれたことを簡単に表したいから言っているのです。  実際、大学での成績が良かったことが重要なことでさえないです。在宅学習が本当にしてくれたことは、両親と三人の在宅学習の同級生が互いにそして神と近しく育つことを助けてくれたこと。私にとって在宅学習は一つの生き方であって、どこで教育をうけるのかという物理的な場所の問題ではないのです。  後になって、妻として母として、私の新しい家族のために在宅学習をすべきかどうかは問題にもなりませんでした。夫はカトリックの学校に12年間通い、在宅学習生に出会ったのは私が初めてだったのですが、幸運(又は聖霊)のおかげで、彼は完全に同意してくれました。最初の子供が生まれてから、私たちは在宅学習を幸せに行っています。    今回の在宅学習について、私たちは一人ぼっちではありません。ほど遠いです。私の家族を含めて、総計で私の家族には30人の在宅学習生と5人の在宅学習を行う母親がいます。実際、両親の52人の孫の多数は在宅学習生です。   メアリー・ルーの体験    私の母、メアリー・アンと長女のメアリー・ルーは80年代後半に勇気をもって在宅学習に踏み切りました。今の多世代在宅学習を行う私たち家族は、この挑戦に対する生きた証になっています。  今日、メアリー・ルーは10人の在宅学習生の母ですが、最初のきっかけについて哲学的に答えます。  「25年前に在宅学習を始めたとき、神に導かれていると感じたわ。始めるまで2、3年かかったわ。その時、私は馬から落とされたの。ちょうど聖パウロのように」  メアリー・ルーは、しかし、すぐには在宅学習を支持しませんでした。  「最初は在宅学習がいいかもと思ったの、だけどそれは私向けではなかった。在宅学習こそ私がしなければならないもので、そこに行くべきだと分かるまで約1週間かかったわ。その時、私は在宅学習へとついに飛び出したの。私は在宅学習に属していると分かっているから、それを続けているのよ。」  メアリー・ルーの感覚を私たち家族すべてが共有しています。神が私たちを在宅学習へと呼びかけたということを私たちは確信しています。私の妹のバルバラの場合のように、在宅学習が私たち自身のために選んだものではなかった時でもです。   消極的な在宅学習実践者のバルバラ    バルバラは典型的な在宅学習実践者ではありません。もし小教区小学校が、彼女が通っていた時のように、安全で健全で、読み・書き・算術を学ぶことができたなら、彼女は喜んで5人の子供を学校に送っていたでしょう。  問題はそうような学校はもはや存在しないということでした。結果として、彼女は消極的に在宅学習を始めました。  手軽さ以上に、在宅学習を行うことは義務の分離を失います。バルバラは子供たちの先生にならなければもっと幸せだったでしょう。それは彼女だけでなく、在宅学習を行う母親の大部分にとっても、親切で優しく、慰め、保護してくれる「母親」としての役割と厳格で、簡単には満足せず、時には課題をさせるために時として感情を殺さなければならない「教師」としての役割との間に何か違いを設けることは、非常に難しく、ほとんど不可能なことです。  「結婚した時に、在宅学習を行うつもりはなかったの。明らかに神には別の計画があったのよ。」  彼女は度々三年生を繰り返すことになることに冗談を言いますが、神が自分のために敷いた道に従っているためそれは価値があることを知っているとも言っています。   メアリー・アンの戦い    バルバラだけが母であることと教師であることに、精神的肉体的な負担を感じているのではありません。5人の在宅学習生を抱える私の妹、メアリー・アンはそれを戦いと見ています。何が危ういかですって?それは子供たちの霊魂です。  「もし子供たちが強く、よく教育が施されているカトリック信者になってほしいなら、止めることは選択肢ではありません。」と、メアリー・アンは言います。  在宅学習に行き着くとき、それが誰もが持つ究極の理由だと思います。神は私たちに子供たちを神のもとに育てるという尊い義務を与えてくださいました。その義務に神から召されている私たちにとって、在宅学習はこれが起きることを保証できる最善の道なのです。  ...

Japanese / 26.02.2014

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ミサ聖祭はポール・サムラー神父の司祭人生において常に中心にあったが、特別形式のミサを捧げることは考えたことがなかった。ある日曜日までそうだった。その日、テキサスのボーモンツのラテン・マス・ソサィエティーに所属するジョン・モレルとマーク・ハリーがサムラー神父に特別形式のミサを捧げてくれないかと頼みに来た。サムラー神父はこう説明する。  「その時は大きい手術を受けた後だったから、3~4か月後に訪ねてほしいと彼らに頼みました。3か月と半後に彼らが再び訪ねてくるまで、私は彼らと短時間出会ったことをすぐに忘れてしまっていました。」  神父はかれらを司祭館での昼食に招き、彼らの話を聴くことができた。神父は話を続けた。   「この時点で彼らがラテン語ミサを望むことに戸惑っていたのですが、彼らの理由を喜んで聴きました。彼らがしゃべり、私が次々と質問するという形で、昼食を伴った打ち合わせはほぼ2時間にわたりました。彼らが私に語ってくれたことには、ボーモンツ司教区の何人もの司祭を訪ねたが、どの司祭も伝統的なラテン語ミサを捧げたくない様々な理由をあげたとのことでした。」  彼らの淀みのない正統なカトリックの霊性と教会への愛に印象付けられたサムラー神父は二人の若者にこう告げた。ラテン語ミサの侍者だったのは50年も前だが、私はこのミサを捧げるべくゼロから始めると。  「彼らが帰った後、私ははまりこんだぞと思いました」サムラ―神父はそう指摘する。  ことは進み、ラテン・マス・ソサィエティーが2011年6月の訓練ワークショップの費用(旅費込)を負担し、サムラー神父はネブラスカ州のデントンにある聖ペテロ会のグアダルーペの聖母神学校で、ジョゼフ・リー神父の指導の下、五日を過ごした。  サムラー神父はその時のことを「霊的強化合宿」と表現する。それは一日八時間半、五日間休みなしで行われた。一か月後、神父は最初の主日の読誦ミサを捧げた。それから2012年に歌ミサのワークショップに参加し、その時以来、毎日曜日の朝九時半に歌ミサを神父は捧げている。  小教区の人々も少し特別形式のミサに参列しているが、参列者の大部分はボーモンツ司教区の様々な場所から来ていて、その中には若い人や子連れの家族もいると、サムラー神父は説明する。  「60年間私の小教区を司牧したアウグスチノ会の神父様方のおかげで、私は美しい教会を受け継ぎました。私が主任司祭   の時、素晴らしい御像を幾体か修復し、それを教会内に設置しなおしました。それは人々に大きな幸せをもたらしました。教会内部は美しく、祈りへといざないます。毎日曜日のミサの前にはロザリオの祈りが唱えられています。」  サムラー神父は自分のラテン語ミサに与る会衆をこう特徴づける。彼らは霊的に深い、熱心なカトリック信者で、その信仰全体が多くの通常形式ミサを捧げる小教区でよく見られる典礼の乱用のためにひどく傷ついている、と。  「特別形式の霊的な影響は私にとっても大きなものでした。」と、サムラー神父。「私はイエスがミサをささげるようにすることを学びました。私が人々の注目を浴びていても、何も戸惑いません。イエスはミサと典礼の行為を通じて、自分自身について語られます。人々は私があたらしいことをやることを必要としていません。」  「この美しいミサ抜きに私の人生は想像できません。主日の歌ミサに加えて、火曜日から金曜日まで午後12時10分に読誦ミサを捧げています。私はジョン・モレルとマーク・ハリーに出会ったことをいつも感謝するつもりです。彼らに『ありがとう』と言いたい」と、サムラー神父は締めくくった。...